Life Huggerでサステナブルな暮らしのコラムや「あるものでごはん」を連載している料理家の服部麻子さんの20年来の友人で、ハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」の日本人初のクルー、内野加奈子さん。
20代でのホクレアとの出会い、高知・土佐山での暮らし、そして再びハワイへ。ホクレアで地球を旅する加奈子さんにとって、場所や時間を超えた麻子さんとの「つながり」は、どんな存在なのでしょうか。地球とともに成長、変化しながらも、ずっと変わらない思いがある。
地球にも自分にも心地よく、サステナブルにしなやかに生きる2人の往復書簡シリーズが始まります。2通目はハワイの加奈子さんから高知の麻子さんへ、出会いから今までを振り返り、思いを届けます。
筆者プロフィール
ハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」クルー。ハワイ大学で海洋学を学び、州立海洋研究所でサンゴ礁研究の後、人と自然の関わりをテーマに写真・執筆活動、絵本制作、学びの場づくりなどに携わる。著書に『ホクレア 星が教えてくれる道(小学館)』、絵本『星と海と旅するカヌー(きみどり工房)』ほか。Instagram @kana_uchino
神奈川出身。アメリカ、南インドでの暮らしを経て、高知に移住。ちいさな畑と文筆業。食と暮らしをテーマに発信中。夫婦の共著に『サステイナブルに暮らしたい』(アノニマ・スタジオ)ほか。Life Huggerでは「あるものでごはん」と「服部雄一郎・麻子さんに聞くゼロウェイストな暮らしのアイデア」を連載中。note「食手帖」Instagram@asterope_tea
高知の麻子へ
ずっと楽しみにしていた「海をわたる往復書簡」。
高知とハワイのやりとりが、ちょっとした憩いだったり、新しい発見や気づきの場になったらと願っています。
出会った頃の麻子の印象は、とにかく「センスのいい人」。
それは、身に纏っているものだったり、立ち振る舞いだったり、話し方だったり。
自分が好きなものを知っていて、自分がいいと思う感覚を大切にしている。それが麻子ならではの凜とした雰囲気を作り上げていて、憧れの存在(笑)でした。
その印象は、友として、たくさんの時間を一緒に過ごした今も変わらず。
麻子が瞬間、瞬間、自分の感覚に耳を澄ませている様子が大好きです。
麻子のセンスがひときわ光るのが、食や料理。
しばらく前に、高知で南インドカレー作りのワークショップを開いてくれたことがあったのだけれど、その時に教わった、塩の使い方がとても印象的でした。使い方、というよりむしろ、使う時の意識、という方が正確かもしれない。
料理全体が調和する一点のポイントのようなものがあって、そこにピタッと合わせるために塩を使う。その一点を探る麻子の姿勢がとても清々しくて。
それ以来、私も塩を使う意識が変わって、家で作る料理が格段に美味しくなったのです。
ホクレアとの出会い
「会うと、いつも広い海を感じる」と言ってもらえるのは本当にうれしい。
ホクレアに出会ったのは、海に夢中になっていた学生時代です。
四六時中、海、海、と言っている私に、「この本、きっと好きだと思うよ」と友人がホクレアについて書かれた本を手渡してくれたのがきっかけでした。
ホクレアはハワイの伝統航海カヌー。星や月や太陽、うねりや風の変化など、自然からのサインだけを使う伝統航海術で、数千キロの大海原を渡るカヌーです。
こんな世界があるのか、人は自然とここまで深く関わりあえるのか、と衝撃を受けました。
ホクレアのことをもっと知りたい、海のことをもっと深く学びたい、とハワイを目指すことを決め、夢中で働いて資金を貯めて、数年後に晴れてハワイへ向かいました。
大学留学という名目だったけれど、一番の目的はホクレア。
到着してすぐに、長く夢見たホクレアの停泊する港に向かったのを覚えています。
当時の私にとって、ホクレアのクルーになるのは夢の夢だったけれど、修繕作業を手伝ったり、伝統航海術について熱心に学んだりしているうちに、クルーとして選ばれるようになり、トレーニング航海を繰り返した後、2003年に最初の長距離航海に参加しました。
海を越えてハワイから日本へ
2007年には、ハワイからミクロネシアを経て日本へ、1万3千キロの海を渡る、5ヶ月の航海が実現。
麻子と久しぶりに再会した友人の結婚式は、まさに到着した港から空港に駆け込み、ギリギリセーフで参加させてもらいました。海からそのままだったので、会場で着る服もなく、到着に合わせて新婦が用意してくれていたという(笑)
このハワイ〜日本航海では、沖縄に到着した後、日本全国13ヶ所を巡りました。
日本には1万4千を越える島があり、人が暮らす島も4百以上。
海から見る日本は、本当に多様で美しかった。
次々と変化する海岸線、その土地ならではの食や文化、人々の暮らし。
一緒に航海してきたハワイのクルーが
「日本人はこんなに素晴らしい場所を “ホーム” と呼べるんだね」
と言ってくれたことを、今でもよく思い出します。
日本の素晴らしさを再認識するなか、各地で消えゆく文化も目の当たりしました。
価値ないから消えていくのではなく、価値あるものが担い手のないまま消えていく。
長い時間をかけて培われてきたものが失われていくのはとても残念で、私に何かできることはないかと感じていました。
そんな時に声をかけられたのが、高知で温められていた土佐山百年構想というプロジェクトです。
3世代先の未来を見据えた地域づくりを目指すプロジェクトで、水源を守る有機農業の推進や、小中一貫校づくりなどに合わせて、豊かな自然を活かした大人の学び場「土佐山アカデミー」の設立が計画されていました。
そのアカデミーのプログラム作りを任されることになった私は、縁もゆかりもなかった高知へ。
暮らし始めてみると、高知は、海も森も川も本当に豊かで、人もおおらか。
日本なのに、なんだかハワイのよう?と目を丸くしました。
高知で麻子たちと
麻子たちが遊びに来てくれたのは、土佐山での仕事について、ちょうど3年ほど経ったころ。
服部一家は、家族全員でアメリカやインドに暮らしたり、はたから見るとかなり冒険しているように見えるのかもしれません。高知への移住も、生まれて数ヶ月の赤ん坊含む子供3人との、全く新しい暮らし。最初の家は、借りたそばから床を張り替えなければならないというハード設定で、トイレも自作だったはず!
でも麻子たち夫婦は、それを勢いや力技で次々乗り越えていくタイプではなく、むしろその対極のイメージ。
困難におののきながらも、自分たちのできる最大限を見つけ出し、試行錯誤を繰り返しながら、しなやかに乗り切ってしまう。ついには自分達の家を建てることまで実現してしまったのだから、本当にすごい。
完成した家を訪ねたときは、麻子が赤ん坊を抱ながら、はじめて高知を訪ねて来てくれた日からのことが走馬灯のように駆け巡り、胸が熱くなりました。
高知での仕事が落ち着いた私が、ハワイに拠点に戻したのは、4年ほど前。
ホクレアの活動も本格的に再開し、2022年にはハワイからタヒチまで、往復約8千キロの大きな外洋航海に向かい、2023年には太平洋を一巡する大きな航海をアラスカからスタートさせました。
海の向こうから、ハワイの風や、普段あまりふれることのない世界のあれこれを届けられるのを楽しみにしています。
ハワイの加奈子より
photo: 著者(2-6枚目)
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内野加奈子
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