日本は秋まっさかりの頃でしょうか。ハワイもほんの少し、涼しい風が吹くようになり、季節の変化を感じています。越冬のために、はるばる北の大地からやってくる渡り鳥たちも、あちこちで見かけるようになりました。
麻子からの手紙を読んでから、学生時代の旅を懐かしく思い返しています。
麻子がヨーロッパを巡っていた頃、私はインドやネパールを旅していました。19歳の一人旅。今思うと、よく行ったな!と思うのですが、日本と全く違う文化にふれてみたいという思いが人一倍強く、当時の私にとって、まさに遠い異国だったインドやネパールを選んだのだと思います。
今のようにネットで何でも調べられる時代でもなく、行き先の情報は、ほぼ皆無。往復の航空券だけを握りしめて、インドの空港に降り立った時の緊張は、今も覚えているほどです。
生命力溢れるインド、街を歩いているだけで人々のエネルギーに圧倒されました。目に入るものすべてが新鮮で、毎日毎日が驚きの連続でした。日本の当たり前は全く通用しない世界で、不便なことや大変なことだらけだったけれど、あの頃のように完全に未知な世界を体験する旅ができたのは、ある意味、とても贅沢だったのかもしれません。
時空を超えてゆく、ホクレアでの「大いなる旅」
ホクレアの旅は、麻子のイメージ通り、まさに「大いなる旅」だと感じています。
出発のタイミングも、到着のタイミングも決めるのは自然。風をよみ、星をよみ、自然に導かれる旅です。
「大いなる旅」には、もう一つの側面があるような気がします。それは「伝統航海カヌー」という、自分よりずっと大きな存在の一部として旅をする、ということ。
昨年、アラスカのヤクタットという、先住民のトリンギット族やハイダ族が暮らす村を訪ねました。彼らは、海からの来訪者を迎える舞いや唄を、何世代にも渡って、受け継いできました。
ホクレアを迎え入れる浜には、多くの先住民たちが集まり、それぞれの部族を代表する長老たちが、湾に停泊したホクレアに乗る私たちに向けて、チャントを詠いあげてくれました。
「あなた方のことを、数百年、待っていました。ずっと心待ちにしていた皆さん、どうぞこの大地に降り立ち、私たちと食を共にし、温かな寝床で休んでください」
長老のいう「あなた方」は、私たち個々人のことではありません。「数百年、待っていた」のも、その言葉を発している長老たち自身だけではない。
浜に立ち、私たちを迎える人々の向こうに、代々この土地を愛し、暮らしてきた人々の存在を強く感じました。そのすべての人々、そして大いなる大地に迎え入れてもらう感覚。
旅のスケール、出会いのスケールが、時空を超えて広がり、思わず涙が溢れました。
行く先々で、「個人」という枠を越えた、新たなつながりが生まれていく。それはホクレアの旅の大きな魅力であり、またホクレアが旅する理由そのものでもあると思います。
知り続けること、カウラパパを訪ねて
ホクレアは今年、太平洋を一巡する「環太平洋航海」から、一旦ハワイに戻り、ハワイの島々をめぐる航海を続けています。
先日はモロカイ島のカラウパパを訪ねました。カラウパパは、島の北側の、切り立つ崖に囲まれた小さな海辺の集落。かつて、ハンセン病の患者さんたちが隔離された場所です。
18世紀後半に西欧人が渡来してきて以来、多くの先住ハワイ人は、持ち込まれた様々な伝染病に苦しめられ、ハワイの人口は10分の1まで激減しました。
その中でもハンセン病は不治の病として怖れられ、1866年、カラウパパに隔離施設が作られました。その後、約8,000人の患者さんが、家族から引き離され、強制的にこのカラウパパに隔離されました。
1940年代に治療法が確立された後も隔離は続き、1969年になってやっと、およそ100年続いた隔離法が廃止されました。それでも多くの元患者さんは、社会的な差別を怖れ、自由の身になった後もこの地に残りました。現在、カラウパパに暮らす元患者さんは、みなさん90歳を越えています。
私にとって、ハンセン病の元患者さんに直接お会いするのは、生まれて初めての経験でした。手を握り、優しく声をかけていただきながら、彼女の人生の一端にふれたとき、私はハンセン病という病について、自分がどれほど「知ったつもり」になっていたかを思い知りました。
現代では、ハンセン病は確実に治る病気であり、感染力も弱く、一度治癒してしまえば、その患者さんから感染することはありません。それでも、いわれない偏見や差別は今も根深く残っています。
参照サイト:カラウパパ療養所/ハワイ・アメリカ合衆国|世界のハンセン病療養所|ハンセン病制圧活動サイト
怖れや無知が、どれほど人を駆り立てるのか。
ハンセン病について知り、考えることは、すべての差別や偏見について考えることにつながるのではと感じました。麻子が以前、手紙に書いてくれた「知り続けること」の大切さを痛感しています。
旅がくれる新たな視点
「自分の願う旅」を想像するのも「ひとつの旅」。その通りですね。
アラスカを訪ねて以来、私が心惹かれるのは、圧倒的な自然に触れる旅。
カナダの国立公園や、パタゴニアの大自然など、壮大な自然に憧れます。どこもふらっと行けるような場所ではなく、ハードルが高いのですが、こんな場所もあるんだ、と知るだけでも世界が広がります。
麻子のシェアしてくれた、紅茶の村シッキムへの旅や、遠くの友を訪ねる旅。人が今、一番したい旅の話を聞くのは、とてもワクワクしますね。
麻子がハワイを訪ねて来てくれたら、どんな場所に連れていきたいか、そんなことを考えるのもまた楽しいです。
「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ」という言葉を聞いたことがあります。旅を思うだけで、視点がほんの少し変化する。私の惹かれる圧倒的な自然も、視点を変えれば、日常の中に見出すこともできるのかもしれません。
日々の暮らしの中に、小さな「旅」を取り入れながら、世界をいつも新しい目で見ていけたらと願っています。
ハワイの加奈子より
photo撮影:著者(1-6枚目)
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内野加奈子
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