能登半島地震|発災から1カ月、助かった命をつなぎとめるために

2024年元日、能登半島で最大震度7を観測する地震が起きました。度重なる激しい揺れで土砂崩れや道路の損壊が各地で相次ぎ、交通網が寸断されました。甚大な被害を前に、国や自治体をはじめ消防や警察、自衛隊、道路や電気・通信関連の事業者など多くの人が復旧支援に尽力しています。中でも被災した地域で活動する市民団体は120以上にのぼり、多くは過去の災害支援の経験を生かして被災者に寄り添った支援を続けています。

その一つ、能登半島最北端の珠洲市などで活動を続ける空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”は、2日からヘリコプターや船を活用して陸・海・空あらゆる方面から被災地に支援を届けています。ARROWS副リーダーの根木佳織さん(公益社団法人Civic Force代表理事)とスタッフの猪俣森太郎さんに、被災地の状況や課題、被災地における民間の役割について聞きました。

※能登半島地震の支援に参加したい場合は、「能登半島地震 緊急支援|Civic Force(シビックフォース)」を確認してください。

半島で起きた災害と支援の難しさ

石川県穴水町の被害の様子(1月2日撮影)©︎ARROWS

石川県によれば、県内で確認された死者数は238人、倒れた家の下敷きになった人や津波にのまれた人など未だ行方がわからない人の捜索活動も続けられています。住宅被害は4万4,937棟にのぼり、県内501カ所の避難所に14,512人が避難しています(1月30日現在)。

「今回の地震は東日本大震災や熊本地震以来の大規模な災害。“陸の孤島”となってしまった半島のオペレーションはとても難しく、被災した皆さんの災害関連死を防ぐ取り組みが最大の課題です」。こう語るのは発災後いち早く行方不明者の捜索や避難所支援などの活動を開始したARROWS副リーダーの根木佳織さん。2016年4月に起きた熊本地震では、直接死50人、関連死はその4倍の200人以上にのぼり、避難生活中の心身の不調や負担などが原因だったと言われています。

今回の能登半島地震でもすでに関連死で亡くなる方がいて、被災した地域で支援を続ける関係者は「このままでは関連死の増加を食い止められない」と強い危機感を持っています。特に高齢化率50%以上という市町が多い奥能登地域において、低体温症やエコノミー症候群、感染症などたくさんのリスクがあります。

「助かった命だからこそ守りたいとの思いでみんな尽力していますが、断水が続く中、厳しい状況が続いています。道路の寸断で、普段なら2時間で行ける奥能登までの道のりが、発災1週間は10時間以上、2週間目は6〜8時間、3週間目に入って4時間程度と時間がかかり、大雪の影響もあって支援物資を早く届けたいのに届けられない。被災地で活動する多くの人がこのジレンマと戦いながら活動してきたと思います」と根木さんは言います。

被災地を2トントラックで行き来する物資輸送プロジェクト

地震や津波の影響で片側車線に規制された道路 (1月2日撮影)©︎ARROWS

奥能登2市2町(珠洲市・輪島市・能登町・穴水町)への道路が寸断され、4トンや10トンの大型トラックでの物資輸送が難しい状況の中、ARROWSでは民間ならではの支援として、能登半島の玄関口である七尾市と珠洲市の2拠点に倉庫を構え、両地域を小型車で行き来する物資輸送プロジェクトを実施。珠洲市の避難所や孤立地区などで活動するスタッフが被災した方々のニーズを吸い上げ、物資管理専門のスタッフが要望に基づく物資をできるだけタイムリーに届けています。

被災地への物資支援は、政府による「プッシュ型支援」が大規模に展開され、自衛隊などが多くの物資を届けています。プッシュ型とは国が被災した都道府県からの具体的な要請を待たずに必要不可欠と見込まれる段ボールベッドや食料などの物資を調達・輸送する支援ですが、今回の地震では発生後数日間、大型トラックが奥能登に入ることができず、NPOや個人が小さな車で届けた物資がとても重宝された時期がありました。

珠洲市の避難所に非常用トイレを届けた根木さん(右) ©︎Civic Force/ARROWS

根木さんは「5日に避難所や非常用トイレを届けた時、とても喜ばれました。断水でトイレの水が流せない中、備蓄の非常用トイレを使っていたそうですが、それもなくなるタイミングだったのです」と振り返ります。

発災から時間が経つにつれ、一人一人のニーズや要望に応えるきめ細やかな支援も求められています。珠洲市で物資の荷受けや避難所への物資配布などを担当したARROWSの猪俣森太郎さんは、物資を届けながら被災した人の多様な困りごとやニーズを聞きました。「断水が続き、2週間以上、入浴や洗濯ができないという人が大勢いました。物資不足の中で下着や衣類は使い捨てせざるを得ないと聞き、届けた数千枚の下着や防寒着はとても喜ばれました」。

また、被災者は学校などの避難所で生活する人だけではありません。ペット連れや病気などさまざまな理由で、倒れた家具が散乱する自宅や車中泊での生活を余儀なくされている人もいます。猪俣さんたちは、企業と協力して設置した給水所の横に物資を置いて、避難所の外で暮らす近隣住民にも手渡したり、足腰が弱い方の自宅へ灯油を小分けにして届けたり、見えにくい被災者へも支援が届けられるよう工夫しています。

災害時に生かす連携の力

SEMAと連携して大規模に物資を被災地へ ©︎Civic Force/ARROWS

ARROWSがこの1カ月で被災地へ届けた物資は100品目以上にのぼります。被災地へ多くの物資が届けられた背景にはどんな仕組みがあるのでしょうか。

根木さんは「平時から企業との連携に力を入れてきました」と語ります。特に、物資の調達・配布にあたっては、緊急災害対応アライアンス「SEMA」との連携なくして実現できないと振り返ります。SEMAはSocial Emergency Management Allianceの略で、日本初の民間主導による緊急災害対応組織。熊本地震後の2017年にヤフー(現LINEヤフー)とA-PADジャパン(現Civic Force)がなどが共同で設立し、2023年12月現在で81の企業、6つの市民団体が加盟している。

設立趣旨は、自然災害の多い日本で大規模災害時に一刻も早く、ひとりでも多くの被災者を救うこと。災害発生時には、現地に入った加盟NPOが被災者のニーズを確認し、その情報に基づき、加盟企業の間で調整を行い、必要とされる量だけ支援物資を提供する。物資は加盟企業の協力で被災地へ輸送し、市民団体によって被災者に届けられる仕組みです。

「過去の災害支援の経験から、被災地に必要以上に物資が集まってしまうと被災地に負担をかけてしまうという反省があります。私たちが必要とする物資をSEMAに要請し、必要なものを必要なだけ、必要なタイミングで届けられるようにすることで、支援の効率性を高めるのが狙いです。届けた物資や被災者の声は企業に報告し、信頼してもらうことで、次にまた大きな災害が起きたときも安心して預けてもらえる関係性を大切にしています」(根木さん)

絶望の中に垣間見た光

珠洲市で給水や物資支援などを行う猪俣さん(左)©︎Civic Force/ARROWS

ARROWSは避難所の21日には、珠洲市内で再開した銭湯「海浜あみだ湯」の敷地の一角で衣類や飲みもの、衛生用品などを配布する取り組みを開始しました。

銭湯の前で物資を受け取った男性が印象的だったという猪俣さん。

「60代ほどの男性に物資を渡したとき、『家も仕事もつぶれたけど、いいもんもらえた』と笑顔を見せてくれました。大切な財産を一瞬にして失い途方もない絶望にくれているはずですが、その笑顔に私も救われました。ささやかでもお力になれたのかなと思えた瞬間でした」

甚大な被害を前に、「自分にできることは少ない」と無力感を抱えている人も少なくないかもしれませんが、支援は微力であっても無力ではありません。被災した現場の最前線で活動するNPOや企業などの活動を支えることも被災地を支える一歩になります。

被災した地域の復旧・復興には長い年月がかかることが予想されます。時間の経過とともに報道が減ってもたくさんの人が引き続き関心をもち続け、一人一人にできることを探し続けていきましょう。

【参考サイト】「能登半島地震 緊急支援|Civic Force(シビックフォース)
【関連ページ】【令和6年能登半島地震】被災者支援情報まとめ

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新海 美保

新海美保(しんかい みほ)。出版社やPRコンサル企業などを経て、2014年にライター・エディターとして独立。雑誌やウェブサイト、書籍の編集、執筆、校正、撮影のほか、国際機関や企業、NPOのPRサポートも行っている。主なテーマは国際協力、防災、サステナビリティ、地方創生など。現在、長野県駒ヶ根市在住。共著『グローバル化のなかの日本再考』(葦書房)ほか